- アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)への愛と、それをあらゆる被造物の愛よりも上に位置付けることの義務。
- 信仰は行為を含む。愛情は心の行為であり、使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が上述の者たちよりも愛する存在とならなくては、信仰が正しい状態とはならないからである。
- 「信仰したことにはならない」とあっても、それがイスラームの範疇から出てしまうことを意味するわけではない。
- 正直な信仰は、その影響が外面に現われなければならない。
- アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)への愛情を、自分自身、子供、親、そしてあらゆる人々への愛情よりも優先することの義務。
- 生命と財産で使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)に尽くすこと。彼への愛を、自分自身と自分の財産よりも優先させなければならないからである。
- アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のスンナ(慣行)を支持し、そのために自分自身、自分の財産、あらゆるエネルギーを捧げる必要があること。なぜならそれが、アッラーの使徒への完全なる愛情の表れであるためだ。ある種の学者は、『実にあなたを憎む者こそは、断ち切られた者なのである。』(クルアーン108:3)というアーヤについて、このように語っている:使徒のみならず、彼の教えを憎んだ者もまた、いかなる善からも「断ち切られた者なのである」と。
- 同情心、大切にする気持ち、尊敬の念などによる愛情の合法性。「私が自分自身の子、父親、全ての人々よりも愛しい者とならない限り・・・」とある通り、愛情が存在することは認められており、それは誰にも否定できない自然なことであるためである。
- いかなる人よりも使徒の言葉を優先させることの義務。彼が最愛の存在となれば、彼の言葉もまた、自分自身を含む他のいかなる者の言葉よりも優先されることは、当然のことだからである。