- 集団礼拝は成年男性にとっての個人義務である。
- 害悪を防ぐことは、利益を導くことよりも優先される。罰に値しない者たちを罰することを恐れるがゆえに、預言者はこのようなやり方による懲罰を行わなかった。
- 害悪は、大きな罰ではなく軽い禁止によって回避できるのであれば、それで済ませることが可能である。預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)自身、懲罰ではなく警告を優先させた。
- 偽信者たちにとって全ての礼拝は難儀であるが、その中でも最も難儀なのがイシャーとファジュルの礼拝である。
- 偽信者たちの崇拝行為の目的は、見せかけと外聞だけである。彼らは人目につく礼拝にしか、やっては来ない。
- イシャーとファジュルの礼拝の徳。
- イシャーとファジュルの礼拝を集団で行うことの、偉大な褒美。それらは、這ってでもやって来るに値するということ。
- イシャーとファジュルの礼拝の厳しさはそれを集団で行うことによる、ということが文脈上から窺える。そこから退きたいという動機の強さ、そこに参加することを阻む要因の強さゆえに、それらの礼拝が厳しく感じられるのだ。
- イマームは何らかの仕事がある場合、代理者を立てて礼拝を先導させることが出来る。
- 罪悪者たちには突然罰が降りかかること。