- イスラーム共同体に対する、アッラーの恩寵の偉大さの説明。このハディースに言及されていることがなければ、僕たちには悪行の方が多くなってしまい、大きな災難となるからである。
- 行いの記録係の天使たちは、心の動きも記録する。かれらは表面的行為しか記録しない、という言説は、正しくない。
- 善行と悪行が定められたことの確証。「まことにアッラーは、善行と悪行を定め・・・」とある通り、それは実際上のことであり、褒美や懲罰の原因となる。
- 実際に起こる善行や悪行は、既に定命として定められ、最終的に決められてしまったことである。僕たちは自分たちの意思により、自分たちに定められた通りに行う。
- 至高至大のアッラーの行為の確証。それは「アッラーがそれを完全な1つの善行として書き留められる」とある通りであり、かれがそれを記録するよう命じるのでも、またはご自身が記録されるのでも、同様である。このような描写は、他の複数のハディースでも確認できる。たとえば預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の、「そして(アッラー)ご自身の御手により、トーラーを書かれた」といったような表現であるが、これはいかなる(被造物との)類似も(表面的意味とは異なる)解釈も伴ってはいない。
- 偉大なるアッラーの、被造物に対するご配慮。善行と悪行は定められていると同時に、命じられている。
- 行いにおける意図の地位とその影響。
- 一般的な形での説明の後に詳細部分に入って行くことは、修辞的手法である。
- 善行はそれをしようと思い立つだけで、1つの善行として記録されること。
- アッラーの恩寵とやさしさと善。善行を思い立つだけで実行には移さなくても、それだけで1つの善行として記録され、悪行を思い立ってもアッラーゆえにそれを実行に移さなければ、やはり1つの善行として記録されるからである。「思い立つ(アラビア語のハンマ)」とは、単に思い浮かぶだけでなく、決心することである。