- スンナ(ここではハディースの意)には、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がその主アッラーから伝えるもの、つまりアッラーの言葉によるものがある。それが聖なるハディース(ハディース・クドゥスィー)、または神的ハディースと呼ばれるものである。
- 至高のアッラーのお言葉(アラビア語の「カウル」)の確証。それはクルアーンの中にも多く認められることであり、アッラーのお言葉は音を伴うというスンナ派の見解の証拠でもある。言葉(カウル)は、聞かれるものにしか用いられないためだ。
- アッラーは不正もお出来だが、その完全なる公正さゆえ、それをご自身に禁じられた。
- 不正の禁止。
- アッラーの教えは、公正さのもとに成り立っている。
- アッラーの属性には、「不正をしないこと」のように、何らかの否定を示すものもある。しかしアッラーの属性で何かを否定する種類のものは、必ずその反対のものの確証を示している。たとえば不正の禁止は、いかなる欠損もない完全なる公正さを確証している。
- アッラーはご自身に、望むものを禁じる。全ての裁決はアッラーにこそ属するからである。同様にアッラーは、ご自身に望むものを義務づけもする。
- 「自らに不正を禁じ・・・」という言葉の中の「自ら」は、アッラーご自身のことを示している。
- 降りかかるあらゆる物事において、人間は主アッラーへと向かわなければならない。全ての被造物はアッラーを必要とするからである。
- アッラーの公正さ、王権、自足性、僕たちへの善における完全さ。僕たちは自分たちが必要とする物事にあたっては、アッラーに向かわなければならない。
- 「ゆえにわれに導きを求めよ。そうすれば、われはあなた方を導こう。」とアッラーが仰っている通り、導きはアッラーからのみ求められる。
- ムカッラフ(宗教義務の責任を問われる者)の元来の姿は、迷いの状態である。それは真理に対する無知であり、それに則って行うことの放棄である。
- 僕たちが得ることの出来る知識や導きは、ひとえにアッラーからのお導きとご教示によるものである。
- 全ての善は、至高のアッラーからの僕たちに対するご厚意である。そして実際のところ、彼らはそれに値するわけではない。一方、全ての悪はアーダムの子(人類)に端を発するものであり、私欲の追求によるものである。
- 僕が自らの行動を創造するのではない。僕もその行動も、いずれもアッラーの被造物なのである。
- どれだけ罪が増えても、アッラーはそれをお赦しになる。ただ、罪の赦しを乞う必要があるだけである。ゆえにアッラーは仰ったのだ:「われに赦しを求めよ。そうすれば、われはあなた方を赦そう。」
- 善の成就はアッラーから頂いた成功であり、その報いもまたアッラーからのご厚意である。ゆえに、かれにこそ称賛はある。